トップページ > 京築記事一覧 > 古代の京築3 金属(鉄器・青銅器)の伝わり
古代の京築3 金属(鉄器・青銅器)の伝わり

2021.06.19

紀元前100年ころ、大陸から青銅器、鉄器が伝わります。縄文文化の中に稲作を中心とする農耕が浸透していきます。日本津々浦々に、数多くの村からクニができます。
【武器としての鉄器】鉄刀、鉄剣、鉄鉾、鉄戈の出土は福岡県がだんとつで、熊本県・佐賀県が4分の1程度、京都府・鳥取県が5分の1程度と続きます。福岡を中心とする北部九州で争いが盛んであったと考えられます。しかしながら、日本は、海で守られていました。道も整備されていません。このころに、大陸を統一したような機動力のある騎馬隊が大群で攻めてくるとは考えられません。
【祭器としての青銅器】対馬から北部九州・四国西部は広形銅矛・広形銅戈で、広形銅剣は瀬戸内海沿岸です。出雲は中細形銅剣で、近畿は銅鐸です。種類によって、共通の祭器を使用する文化圏があったと考えられます。銅剣は広形になると祭器目的が強くなると考えられます。銅鐸は、耕作の時の祭器だとわかってきました。
【豊の国の広形銅矛】銅矛の発見は、盗掘や持ち運べるいう点にあいまいさがありますが、豊の国では、重富・城野・重住古墳群(北九州市小倉南区)や行橋市、築上郡、大分県宇佐市などで発掘されています。
☆密は避けましょう。さわがないようにしましょう。来た時よりも美しく!
PAGE
TOP