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古代の京築1 稲作文化の始まり

2021.06.01

大陸からの稲作は、北部九州から伝わったとされています。弥生時代早期の稲作は九州限定でした。京築地方も海沿岸沿いから水田耕作が伝わったと考えられます。耕作にゆかりのある珍しい地名を紹介します。まず、苅田町は、神田町(じんでんちょう)、稲光(いなみつ)、鋤崎(すきざき)です。みやこ町は、勝山黒田(くろだ)です。行橋市は稗田(ひえだ)、天生田(あもうだ)、稲童(いなどう)です。築上町は椎田(しいだ)、八津田(はった)、臼田(うすだ)、寒田(さわだ)です。豊前市には黒土(くろつち)、塔田(とうだ)があります。いつの時代にできた地名かわかりませんが、興味深いものです。
【弥生時代前期の稲作の普及】弥生時代前期には、西日本の立地条件の良いところに、壱岐の原の辻遺跡のような「大陸からの灌漑式稲作」が伝わりました。出土している土器は、遠賀川式土器でシンプルな形をしています。「東海地方以北の中部・関東地方は、稲ではなくキビやアワを耕作していた」とのことです。土器は条の模様の荒ぽい仕上げのものだそうです。「東北地方は縄文文化の中で立地条件に合わせて稲作を試みた」とのことです。土器は縄文式土器のままです。北海道は稲作を受け入れず縄文文化を引き続けたとのことです。
【弥生時代前期の京築の遺跡】遠賀郡水巻町立屋敷遺跡で発掘された「遠賀式土器」は西日本一帯に広がりを見せます。京築では、長井遺跡(行橋市)、辻垣遺跡群(行橋市)下稗田遺跡(行橋市)、河原田遺跡群(豊前市鬼木(おんのき))などがあります。
☆写真は、みやこ平野北部です。密は避けましょう。さわがないようにしましょう。来た時よりも美しく!
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