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郷土の山016(苅田の松山)
2018.09.22
■場所:松山[松山城跡]/福岡県京都郡苅田町松山
■地質は周防変成岩が主体。しましまの片理構造の岩石「片岩」など
■京都郡の北部、もとは半島状に海につきでた地形に、城が築かれた山。標高128メートル。
中近世は地域の重要な山城として、争奪がくりかえされてきた歴史をもつ。遺構は、山頂周辺に、大きく三つの郭、石垣、石段、堀が構築されている。山中の尾根などには、長大な土塁が展開する。
江戸初期、廃城後は、牧場として利用された記事が古文書にあるという。
写真は「第12回北九州無法松ツーデーマーチ」(40㎞[38㎞]コース。竹馬川と臨空曽根干潟冒険コース)参加の際に、松山の北西、北九州市小倉南区の曽根新田、曽根干潟あたりからみた苅田町北部、松山や狸山峠周辺あたり。2018.09.22の景観。
なお、現在、2018年7月豪雨の影響で被災し、危険箇所があるため、山は立ち入り禁止となっている。
■写真1(周辺は埋め立てなどにより、地形が改変されているものの、北側の北九州市側からみると、なんとなくかつての半島状の地形がしのばれる松山遠景。
曽根新田北部の貫川河口南付近より望む。手前は、曽根干潟。写真右、堤防の向こうの小山は、狸山あたり。)
■写真2(松山遠景。北九州市、曽根新田南部、朽網川河口あたりより望む。
写真左、海中に、兜島〔※地図では「羽島[はしま]」と記載されている。連絡橋の北側、海中にある台形の島。むかし地域の方々に聞いた話によると、かつて、島に木が複数生えていて、島が台形のシルエットなため、兜の形ように見えたので、かぶとじまとも呼ばれていたらしい。〕、
北九州空港〔2006年3月16日開港〕、
新北九州空港連絡橋〔長さL=2,100メートル〕など)
■写真3(朽網臨空公園から望む松山)
■写真4(朽網臨空公園海岸の看板。松山の北西、曽根干潟関連看板。松山の位置は、板面のそと、看板の右側の柱部分あたりになる)
■参考文献:アクロス福岡文化誌編纂委員会編『アクロス福岡文化誌7福岡県の名城』海鳥社2013年発行、小野剛史『豊前国苅田歴史物語』花乱社2016年発行
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■地質は周防変成岩が主体。しましまの片理構造の岩石「片岩」など
■京都郡の北部、もとは半島状に海につきでた地形に、城が築かれた山。標高128メートル。
中近世は地域の重要な山城として、争奪がくりかえされてきた歴史をもつ。遺構は、山頂周辺に、大きく三つの郭、石垣、石段、堀が構築されている。山中の尾根などには、長大な土塁が展開する。
江戸初期、廃城後は、牧場として利用された記事が古文書にあるという。
写真は「第12回北九州無法松ツーデーマーチ」(40㎞[38㎞]コース。竹馬川と臨空曽根干潟冒険コース)参加の際に、松山の北西、北九州市小倉南区の曽根新田、曽根干潟あたりからみた苅田町北部、松山や狸山峠周辺あたり。2018.09.22の景観。
なお、現在、2018年7月豪雨の影響で被災し、危険箇所があるため、山は立ち入り禁止となっている。
■写真1(周辺は埋め立てなどにより、地形が改変されているものの、北側の北九州市側からみると、なんとなくかつての半島状の地形がしのばれる松山遠景。
曽根新田北部の貫川河口南付近より望む。手前は、曽根干潟。写真右、堤防の向こうの小山は、狸山あたり。)
■写真2(松山遠景。北九州市、曽根新田南部、朽網川河口あたりより望む。
写真左、海中に、兜島〔※地図では「羽島[はしま]」と記載されている。連絡橋の北側、海中にある台形の島。むかし地域の方々に聞いた話によると、かつて、島に木が複数生えていて、島が台形のシルエットなため、兜の形ように見えたので、かぶとじまとも呼ばれていたらしい。〕、
北九州空港〔2006年3月16日開港〕、
新北九州空港連絡橋〔長さL=2,100メートル〕など)
■写真3(朽網臨空公園から望む松山)
■写真4(朽網臨空公園海岸の看板。松山の北西、曽根干潟関連看板。松山の位置は、板面のそと、看板の右側の柱部分あたりになる)
■参考文献:アクロス福岡文化誌編纂委員会編『アクロス福岡文化誌7福岡県の名城』海鳥社2013年発行、小野剛史『豊前国苅田歴史物語』花乱社2016年発行