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古代北部九州の要4 激動の時代

2023.03.15

五胡一六国(316~439年)】中国華北では、北方の遊牧民族が寒冷のために南下し、遊牧民族、漢民族、チベット族など多民族で戦乱が激化しました。安定しない30年ともたない王朝が乱立していた時代です。
【海からの侵攻の困難さ】この時代、海を越えて、広範囲の侵攻や何十年もの支配は困難だと考えます。海路が平和であれば、友好国となり、交易ができるでしょうが、戦いから逃れてきた渡来人を助け受け入れて、文化が伝わったと考えられます。海を越えての遠征は困難で、あとの時代の663年の白村江の戦いでも倭国の陸上援軍は、上陸できずに大敗しています。また、戦術が進化した13世紀でさえ、モンゴル帝国は、元寇で騎馬隊輸送に失敗して大敗しています。
稲童古墳群金銅立飾付眉庇付冑(こんどうたちかざりつきまびさしつきかぶと)が発見されています。(写真)朝鮮半島に関連があります。他にも各種の鉄製武器や馬具、銅鏡、玉類があります。直径22mの円墳で、竪穴系横口式石室で、400年代後半と考えられます。
☆来た時よりも美しく!騒がないようにしましょう。
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