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古代北部九州の要3 古墳1

2023.03.14

魏呉蜀三国時代(220~265)】後漢の後、禅譲により、三国に分裂しました。禅譲とは儒教的な考え方で徳の高い人に譲ることです。平和的であり、国力が低下しません。儒教は、血族の結束を図ることに有利です。魏志倭人伝に登場する魏は、この時代の魏です。中国の歴史書によると、倭国は100国余りから3世紀に30国ほどになったとのことです。
石塚山古墳】200年代後半から300年代初頭の前方後円墳で、苅田町富久町にあります。九州最大級(全長約130m)の前方後円墳です。「三角縁神獣鏡」が発掘されています。出土品は、銅鏡などの祭祀具、勾玉などの装身品、かぶとや矢じりなどの武具があります。
ビワノクマ古墳】行橋市吉国の北、行橋市延永にビワノクマ古墳(300年代後半)があります。古代の海岸線では津熊(つのくま)の近くです。全長約50mの前方後円墳で、竪穴式石室です。「小札革抵甲(こざねかわとじかぶと)」が発掘されています。これは、小札(小さな鉄板)を革紐で綴じ合わせて作った甲(よろい)です。出土品は、他にも、銅鏡・勾玉や刀・短剣などがあります。
☆古墳については、古代の京築4も参照してください。古墳の大きさだけで、権力を推定しがちですが、初期のものは当然規模が小さく、また、争いが激しいところでは、大きな古墳を造る余裕はありません。
☆写真は、ビワノクマ古墳付近から見た塔が峰(平尾台の入り口:396m)です。
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