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戦史の風景(古代山城の城壁と近現代の忠魂碑)

2020年12月07日

■岩ヶ嶽・鷹ノ巣・ホトギ山・御所ヶ岳から御所ヶ谷あたり(場所:福岡県行橋市~京都郡みやこ町の境あたり)

■記憶をたどると、むかし、地域の子供会行事で連れていってもらったとか、学校の遠足で行ったとか、水晶谷で水晶探しをしたとか、公民館行事で見学したとか、八十八ヶ所めぐり、山登り、散歩、などなど、思い出が残る、追憶の名所旧跡がある山や渓谷『御所ヶ谷』。

■古代山城や神籠石ちいわれちょる遺跡については、論争や諸説があって、いろんな書物が図書館などにあるんっちゃ。

地元自治体発行の史誌を読めば、三者三様、見解様々で???諸説紛々???諸説あります???の感があるのは確かな遺跡。

あるんやけど、歴史書『日本書紀』『続日本紀』や地名『き』や『きやま』に関連する遺跡が、西日本各地にあるところから考えると・・・・。

■古代、飛鳥時代の国際的緊張に伴う、朝鮮半島であった「白村江の戦い」〔唐・新羅に対する百済・倭(日本)の戦い〕の敗戦(663年8月)をきっかけに、天智天皇の時代頃、有時に備えるため、西日本各地に複数造られた遺構で、
食料保管、備蓄、補給、給水、中継など、兵站のための軍事施設やなかろうかと。

■古代山城や神籠石っちいわれちょる遺跡は、長大な土塁や石塁そして門や水門などからなる遺構が特徴。

長年、謎の遺跡とか言われちょって、いつまでたっても、一般人目線で納得される回答結論が出ちょらん遺跡。

けど、「き」「きやま」とかいわれる地名が、古代官道付近の山地や丘陵地にある。

港や海路の見える立地や条里水田との位置関係やらからみても、遺跡の本質や性格は、古代防衛施設で、結局は、地名が答え、なんやなかろうか。

■長年の素朴な疑問、Q.「神籠石」ち何なん?
いつの遺跡なん?は、近年、なしこげなネーミングで学者さんたちが呼び続けてきたそかん?へと。そして、結局たどり着いたのは、A.地名「き」「きやま」、古代防衛施設を意味する古語「き」が答えなんやなかろうかと。

これは謎の類いではなくて、ネーミングの凡ミスから誤解が生じて、長きにわたり話をややこしくしているという類いの不幸な論争話じゃなかろうかと。

■古代山城の城壁付近、山の斜面にひっそりと藪に埋もれつつたっている石碑は、近現代の明治大正昭和時代、日清戦争から大東亜戦争で亡くなった稗田地域ゆかりの戦没者を弔う「忠魂碑」。

先の大戦の敗戦(1945年)後、昭和時代、旧稗田村の時代、山の斜面にある、花こう岩の巨石を利用して建立された碑。

■石碑が山の斜面に埋もれた状況をみると、コロナ禍の時代のせいか、戦後75年、令和二年(2020年)、あまり、気にもとめられてない状況。

■地名「きやま」や古語「き」関連のこと、地域の戦史、敗戦後を学ぶ場所として、探訪するべき旧跡。

なんぼ、国史跡名称が「○○神籠石」ちゆうても、むかしからの地域に根ざした各地の方言、山名表記、地名発音は、名所旧跡を理解するうえで、とっても大事なんやなかろうか。

■遺跡版キラキラネームが「神籠石」なのかも。難読、誤解を招く、大げさ、まぎらわしい、パソコンやスマホで変換しづらいなどなど。

歴史にもしもは云々やろうけど、もしも遺跡名がシンプルで、わかりやすい名前につけられちょったら、謎の遺跡とかっち、論争があった明治大正時代から、調査が複数回あった昭和平成令和時代にかけ、長きにわたり誤解されずにすんだのかも。と、『日本書紀』編纂1300年の年末、現地を見て、考えたりした次第。いつのまにかできた、石垣前の看板や橋が目立ちすぎて、景観が一変しちょりました。写真撮影が難しい・・・。(2020年12月の景観)

■近年の古代山城関連参考文献:井上和人「日本列島古代山城の軍略と王宮・都城」『日本古代学第9号』明治大学日本古代学教育・研究センター2017年発行。井上光貞監訳『日本書紀(上・下)』中公文庫2020年発行。大津透『律令国家と隋唐文明』(岩波新書1827)岩波書店2020年発行。※本の導入部分「はじめにー鬼ノ城にて」に、岡山県の古代山城をもとに、天智朝頃、白村江の戦いの後、築城されたという歴史的背景の記述あり。

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