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郷土の山029(英彦山の中岳[上宮])

2020年01月06日

◼場所:英彦山/福岡県~大分県の県境〔豊前国の最高峰〕

◼2020年1月初頭に、山岳信仰の霊峰・英彦山に参拝。

今川流域を遡り、田川郡添田町、中腹の別所駐車場を起点に、九州自然歩道の表参道ルートで、英彦山神宮の奉幣殿➡中岳➡南岳➡中岳➡北岳➡中岳➡奉幣殿➡別所駐車場を歩き、登山した際の写真の一部。

暖冬で、積雪はみられなかったものの、凍結した地面に、霜や氷が散見され、標高約1200メートルの厳しい山岳環境を体感した次第。

◼主な地質は、新生代第三紀頃の豊肥火山活動[400万年前前後]の溶岩に由来する「安山岩」や火山噴出物に由来する「角礫凝灰岩」。

◼英彦山の山頂部は、南岳、中岳、北岳の三峰に分かれています。

◼古くより、山岳信仰の霊山として栄えた山。奈良県の大峰山、山形県の羽黒山と並んで、日本三大修験道の霊山と称される、九州の豊前国の「英彦山」。

◼「ひこさん」の山名は、太陽神である天照大神の御子・天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)が祀られた山に由来。
稲穂の神様。農業の守護神。

表記については、古代には「日子山」が前身といわれ、平安時代、弘仁10年(819年)には、嵯峨天皇により「彦山」と改められます。のちに、江戸時代、享保14年(1729年)には、霊元法皇により「英彦山」と改められました。

江戸時代から、表記「英彦山」となり、天下に秀でた「彦山」として、「英」の字が冠されることとなったと伝わります。

◼「銅の鳥居」(かねのとりい)にかかる遍額「英彦山」は、享保19年(1734年)6月19日に掲げられたもので、霊元法皇の勅命により、畿内の京都から運ばれてきたといわれます。

◼英彦山は、最盛期には、山伏ら衆徒三千人、八百坊が、甍を並べたといわれる歴史ある修行の山。

壮大な入母屋の屋根が眼をひく、朱塗り柱の大規模な建造物「奉幣殿」をはじめとして、苔むした坊跡の石垣、参道の石段、杉の巨木、山内の岩場に展開する修行窟や修行道が、往時をしのばせます。

◼天候がよければ、上宮が鎮座する中岳からは、平尾台~瀬戸内海~京築地域、鶴見山系、由布岳、くじゅう連山、耳納連山、脊振山系、三郡山系、筑豊盆地などなど、北部九州~西瀬戸内一帯を、ぐるっと見ることができます。

◼写真1(写真左側は標高1188.2メートルの中岳[上宮]。写真右側は標高1199.6メートルの南岳[英彦山の山頂部]。山頂西側あたりの参道沿いより望む。)

◼写真2(英彦山中岳にある「英彦山」の説明板。近年、九州自然歩道沿線の看板、階段など、リニューアルが進められています。)

◼写真3(上宮前の手洗鉢。氷がはっておりました。背後の山は、英彦山の南岳。)

◼写真4(中岳からみた景色。北側から北東側は、筑豊盆地~京築地域~瀬戸内海周辺が展望できました。

◼英彦山は、北部九州における、多くの河川の水源となっている「水分の山」。

北側山麓には、福岡県東部の水がめのダムが造られています。

「油木ダム」(1971年6月竣工。所在地:今川上流/田川郡添田町津野)や「伊良原ダム」(2018年3月竣工。所在地:祓川上流/京都郡みやこ町犀川下伊良原~上伊良原)などがあり、北九州、筑豊、京築地域の飲料水・農業用水・工業用水などの源。)

◼参考文献:西海賢二・時枝務・久野俊彦編『日本の霊山読み解き事典』柏書房2014年発行(※P506~520に、長野覺氏執筆の「英彦山」の解説あり)、『季刊のぼろvol.10英彦山へ~私だけの祈りの道を探して~』西日本新聞社2015年発行、『分県登山ガイド39福岡県の山』山と渓谷社2016年発行
〔2020.01.05探訪〕

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