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郷土の山017(蔵持山)

2018年11月08日

■場所:蔵持山/福岡県京都郡みやこ町犀川上高屋

■山伏さんが、修行していた山岳信仰の歴史ある山。英彦山六峰のひとつ。
周辺の萱切山や神楽山や土居山(帝釈天)を含め最盛期は96坊があったといわれます。標高478メートル。

■景観については、南は英彦山や鷹ノ巣山や野峠を正面に、犬ヶ岳や経読岳など、福岡県大分県の県境の稜線の山々。犬ヶ岳一の岳から連なる求菩提山や国見山などの山々。眼下に祓川流域や伊良原ダム周辺(写真1:稚児落し、二ノ嶽より望む南側景観)

北から東は、豊前海、戸ノ上山、新門司、平尾台、高城山系、松山、苅田港、蓑島、馬ヶ岳、築城飛行場など(写真2:国見台より望む北東側景観)。

なお、上宮南の角礫凝灰岩の尾根、二ノ嶽(稚児落し)からは、西に、赤村と添田町境の特牛岳や岩石山、遠くに古処山系、宝満山や三郡山、背振山系など、各地の境界をなす広範囲の山々が望めます。

■地質は、山麓から中腹には中生代白亜紀後期頃形成された地下深くの溶岩に由来する花崗岩やその風化土(まさつち)が基盤となり、上部には、新生代第三紀以降頃の豊肥火山活動に由来する「角礫凝灰岩」や「安山岩」があり、長い年月をへて、風化侵食され、かたちづくられた山。

角礫凝灰岩の岩場に沿って、たくさんの修行窟
や修行道が展開しています(写真3)。

英彦山にも「四土」という考え方により、銅鳥居、石鳥居、木鳥居を境として、標高によって、四つにエリアが分けられていますが、蔵持山も、聖域、行場、坊(住居)、畑などに分類され、杉(樹齢800年をほこる蔵持の大杉など)や檜が植林され、あるていど人の手が入ることで、山の自然が保たれてきたといわれます。

平成3年(1991)9月の台風被害のため環境が打撃を受け、爪痕が残りますが、倒れた樹齢400年を越す大木の一部が、平成筑豊鉄道「犀川駅」のタワー部分やロビーに、蔵持区から寄贈されて、展示されています(平成5年[1993年]竣工した駅舎。犀川町制50周年事業に由来。バブル経済や災害が多く発生した「平成時代」の歴史を伝える駅舎。)

■山名の由来は、いくつかあります。
由来①:神功皇后が三韓出兵戦勝凱旋で奉納された神楽や鞍に由来

由来②:10世紀第2四半期頃[930年代、承平・天慶年間]平安時代の説話。山の修行僧・静暹(じょうせん)と門司の港湾関係者と空飛ぶ托鉢が登場する。(鎌倉時代編纂とされる古文書『彦山流記』にある蔵持窟の記事中)静暹が修行中、食料に困っていたところ、托鉢が空を飛び、山と港を往復し門司の港の船につまれていた年貢米をたくさん運んできた。港湾の人と僧と托鉢とやりとりの末、米を納めるため蔵をたてることとなった。その蔵が由来なのだとか。蔵持山宝船寺の開山の由来を伝える説話としたかたちをとっていますが、山を支援した当時の物流など地域間の関連を暗示しているかもしれません。「蔵の地」という平らな場所が、蔵があったところといわれ、山頂にほどちかい上宮の鳥居北側の下にあります。

なお、近年の蔵持山林道関連発掘調査では、平安時代頃の土器など遺物が出土しており、古文書に記載されるように10世紀頃に開山された可能性があることが考えられています。また、時代はとびますが、現代では、バナナ姫ルナの制作者イラストレーターしいたけさん、里山商会さんの商品パッケージやデザインなどをてがけているマイアミ企画さん、平成筑豊鉄道(トロッコ線・潮風号など)、県道25号「門司・行橋線」等々、京築地域と門司地域と、いにしえからご縁がある地域のようです。

由来③:山頂部が「鞍」のような形から。山頂の上宮(標高478メートル)と国見台(標高472メートルの三角点や弘法大師が祀られているあたり)の間が低くなっている。

写真4は、いこいの里から望んだ、蔵持山(写真中央)、帝釈天(写真右の山)※2018年秋の景観

■参考文献:伊東尾四郎編『京都郡誌』美夜古文化懇話会1975年発行、犀川町郷土史研究会『郷土史さいがわ1~24号』1981~2006年発行、みやこ町教育委員会『蔵持山遺跡群、同Ⅱ』2012・2016年発行、江上智恵『ふくおか歴史の山歩き』海鳥社2016年発行、九州歴史資料館『霊峰英彦山ー神仏と人と自然とー』2017年発行

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