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郷土の山009(八景山)

2018年06月18日

■場所:八景山/福岡県京都郡みやこ町国作、行橋市南泉(竹並)

■地質は、花崗岩(真崎花崗岩)。

■八景山は標高約83メートル。妙見山とも。京都平野のまんなかあたりに位置し、低山ながらも豊前国の周囲の景色や地形を頭に入れておくのに絶好の地。

■山の周囲に、飛鳥奈良平安時代にかけての役所跡である官衙遺跡があり、古代、豊前国の中心地的場所、今でいう、県庁所在地的場所だったところ。

(山の東には豊前国府跡〔※奈良時代後半から平安時代頃の国府跡。平安時代の遺構が復元整備されている。〕

山の北には福原長者原遺跡〔※飛鳥から奈良時代前半頃の初期国府跡と推定され、約150メートル四方の敷地。地方のものとしては大規模な官衙遺跡。

福原長者原遺跡は、7世紀末から8世紀初頭、日本初の本格的な都『藤原京』の中心にあった『藤原宮』をモデルにした可能性がある役所跡。藤原宮は、持統天皇8年(694年)に飛鳥から遷都した宮殿跡。約1キロメートル四方の正方形の敷地の中に内裏・大極殿・朝堂院が北から南へ並びたっていた。平城京へ移るまでの16年間(持統、文武、元明天皇の頃)、日本の首都であった『藤原京』。十条十坊の区画をもち、約5.3キロメートル四方の町並みで、現在の奈良県橿原市を中心に、明日香村、桜井市あたりの地域にあった。)

■八景山は、周囲にかたちのいい山々(道場寺山、観音山、二先山など)があり、奈良盆地の南部、飛鳥・藤原地域でいうと、飛鳥の里や大和三山(耳成山、香久山、畝傍山)が一望できる「甘樫丘(あまかしのおか)」のような場所なのかもしれません。

■山頂に花崗岩の巨石「八畳岩」などがあり、古来、磐座(いわくら)的存在として祭祀の場、聖なる山として、また大祖神社(妙見社)、八景山護国神社が鎮座し、幕末維新頃の幕長戦争や西南戦争から、昭和の第二次世界大戦にかけての地域の戦没者を祀り、追悼する場として参拝されてきた山でもあります。

■八景とは、この山から望める景色のことで、由布岳、姫島、英彦山、豊前海、馬ケ岳、宇留津、障子ケ岳、蓑島のこと。『楽彼園詩文稿』という漢詩集にある八景を漢詩にした「八景山所観八絶」(八つの七言絶句。『京都郡誌[復刻版]』の46ページに漢詩の記載あり)が由来とされます。

■古墳時代には、山麓にたくさんの古墳がつくられ、豊前地域の仲津郡域の首長級の墳墓で九州最大級の四角形の方墳「甲塚方墳」、八景山山麓古墳群、彦徳甲塚古墳、竹並遺跡など分布。

■明治9年(1876)の10月末から11月にあった不平士族の反乱「秋月の乱」の際、乃木希典率いる明治政府の鎮台兵が八景山で陣を構えて、豊津台地・育徳館などでの秋月藩士らの動向を、八景山の高台からうかがい、10月29日夕刻に、鎮圧に動いたといわれます。

■昭和から平成時代は、様々な石碑の建立(葉山嘉樹、鶴田知也、堺利彦などの顕彰碑)、桜の植樹、登山道の整備(1969年八景山登山道路完成[長さL=約1キロメートル、幅W=約4~6メートル])などが行われています。
近年、古代史では、畿内の古墳や宮殿や官衙遺跡を、豊前地域と比較したり、地域の近現代史や人物を学ぶ場、また春には、桜の名所にもなる山です。

■写真1(八景山山頂の巨石「八畳岩」と大祖神社)、写真2(八畳岩と八景山護国神社)、写真3(プロレタリア文学作家の葉山嘉樹文学碑「馬鹿にはされるが真実を語るものがもっと多くなるといい」)、写真4(「コシャマイン記」で昭和11年に芥川賞を受賞した鶴田知也の文学碑「不遜なれば未来の悉くを失う」)

■参考文献:伊東尾四郎編『京都郡誌(復刻版)』1976年、『豊津町史上下』1997年、『広報とよつ2005年8月号No.536』、福岡県遺族連合会五十年誌編集委員会編『福岡県戦没者遺族の五十年』福岡県遺族連合会1995年、相原嘉之『古代飛鳥の都市構造』吉川弘文館2017年、佐藤信・木下正史編『古代の都1飛鳥から藤原京へ』吉川弘文館2010年、大橋泰夫『古代国府の成立と国郡制』吉川弘文館2018年

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