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花見登山(御所ヶ岳・ホトギ山・岩ヶ嶽)

2018年04月10日

○場所:御所ヶ岳・ホトギ山・岩ヶ嶽〔福岡県行橋市津積、京都郡みやこ町犀川木山、勝山大久保〕

○あっという間に開花して、満開、そして、ぱっと散り、若葉まぶしいみどりの葉桜になる桜たち。四月はじめに山で見たときの桜の写真。

○諸説ありますが、御所ヶ谷城(御所ヶ谷神籠石)は、飛鳥時代、天智天皇の時代頃(7世紀第3四半期頃)、「日本書紀」によると、天智紀に記載がある西日本の古代山城の大野城や基肄城などと関連した軍事施設と推定。

○この山は、山麓に条里水田があり、古代官道や烽や官衙や津(草野津)や海路(瀬戸内海)を望むことができる立地。断崖絶壁など険しい尾根や渓谷をたくみにとりいれ、土塁、石塁など周囲約3㎞の城壁がめぐり、7箇所の城門が配置され、景行神社横の礎石建物跡のおおよそ北北東正面に古代の港・草野津関連遺跡(延永ヤヨミ園遺跡)を望み、西北西に官道の峠(障子ヶ岳南付近の石鍋越)が見える位置にある。谷では水が得られ、城壁用の土や石材が豊富にとれる地質。有事に備え、交通の要衝に配置され、食料保管、給水や物資補給や中継など、兵站のための施設としての役割があったのではなかろうか。

○なお、古代山城関連ゆるきゃらとして、「大野ジョー」、「きやまん」、「きやまる」(福岡県大野城市、佐賀県基山町)等が著名ですが、古代のことばで防衛施設のことを「き」と言うそうで、地名「基山」「木山」など地名「きやま」は、古代防衛施設であったことを伝える地名とされます。
○7世紀、百済からの救援要請に対応するために渡海し、663年8月、朝鮮半島における、「白村江の戦い」で唐・新羅の連合軍に敗れた倭国(日本)。国際的緊張をきっかけに、危機意識から、亡命百済人の技術指導を受け、国をあげて西日本各地に連動する配置で造られた古代山城のひとつとされますが、山頂部(標高246.9メートル)には、1350数年経た21世紀の現代、山桜やソメイヨシノやヤシャブシ等の木々があり、東側の山・馬ヶ岳や京都平野や東九州西瀬戸一帯の景観を背景に、桜が開花します。
○東九州豊国の京築地域目線でみると、この山からみえる海の対岸、山口県山陽小野田市辺りの古代官道(山陽道と山陰道の分岐点)沿線で、烽や官衙や津や海路が望める山に、未だ発見されてない古代山城「長門城」が配置されていたかもしれないと思ったりする。
(2018.04.01探訪)

○登山参考文献:『分県登山ガイド39福岡県の山』山と渓谷社2016年発行〔106~107ページに御所ヶ岳と馬ヶ岳の登山コース解説あり〕
○近年の古代山城の参考文献:井上和人「日本列島古代山城の軍略と王宮・都城」『日本古代学第9号』明治大学日本古代学教育・研究センター2017年発行

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